DBS制度が変える日本の雇用慣行と採用への影響【行政書士の見解】
目次
はじめに:DBS制度は「最低限の法律」から「新しい雇用慣行」へ
DBS法(子ども性暴力防止法)の施行は、子ども関連業務を行うすべての認定事業者にとって、これまでの個別的な対応を「法的義務」へと変える大きな転換点となりました。
これまでのシリーズでは、確認手続きやマニュアル作成といった実務について解説してきましたが、DBS制度がもたらす影響は、単なる「法令の遵守」に留まりません。本制度は、「子どもに接する仕事は、特定性犯罪歴の有無を確認し、必要な措置を講じること」を社会的なコンセンサスとして、初めて法的拘束力をもって確立しました。
これは、日本の採用慣行や労働契約に「子どもの安全の担保」という新しい視点を組み込む、歴史的な変革の始まりであると、行政書士として見ています。
本記事では、DBS制度が日本の採用市場や企業経営にもたらす長期的な影響をマクロな視点から考察し、認定事業者の皆様が未来への投資としてコンプライアンス体制をどう強化すべきか、その展望を専門家の見解として解説します。
採用慣行と労働契約への長期的な影響
DBS制度が定めるのは、特定性犯罪歴の有無の確認と、子どもの安全を確保するための防止措置を講じることという最低限の法的枠組みです。この枠組みは、憲法で保障された「職業選択の自由」と衝突しながらも、日本の雇用慣行を根本から変容させる可能性があります。
採用選考における「法的枠組み」の確立
DBS法の導入により、採用選考における「子どもへの安全性」を判断するための法的枠組みが確立されました。
従来の採用選考では、個人の能力や適性のみが問われましたが、DBS法は認定事業者に対し、「特定性犯罪歴の有無の確認」を法的義務としました。さらに、「特定性犯罪歴が判明した場合には、児童対象性暴力の防止のため、子どもと接触する業務から外すなどの防止措置を講じること」を、従業員の業務従事に制限を加える法的条件として設定しています。
この防止措置の義務こそが、これまでの教育従事者における採用フローに大きな変化をもたらすことが予想されます。また、事業者は、確認を拒否した応募者や、確認情報を目的外利用しないという採用プロセス全体の透明性と公正さを、従来以上に明確に説明することが求められるようになります。
労働契約・就業規則の整備と働く自由との衝突
特定性犯罪歴の有無の確認は、労働契約の締結と密接に関わります。
協力義務の組み込み
労働契約書や就業規則に、「確認手続きへの協力義務」を盛り込むことが一般化していくでしょう。そのため、従業員によっては犯罪防の確認手続きが面倒と感じたり、義務違反が発生した時の対処の仕方など、経営者や人事担当にとっては負担が大きく感じてしまうかもしれません。ですが、一方でこの制度の運用をしっかりしている企業においては、「コンプライアンス体制が整備されている」との評価も受けるでしょう。
不採用・配置転換の法的根拠と衝突
DBS法に基づき「特定性犯罪歴あり」が判明した場合、事業者は「防止措置」を講じない限り業務に従事させられません。この防止措置の義務は、実質的に不採用や配置転換の大きな要因となります。これは憲法上の「職業選択の自由」を制限するものですが、子どもの安全確保という公益性との間で、常に必要性・合理性という難しい判断が問われることになります。
コンプライアンス意識の向上
認定事業者においては、DBS制度の運用の定着を通じて、コンプライアンス意識が組織全体で向上することが期待されます。
特定性犯罪歴を人事評価に活用することは厳しく禁止されていますが、DBS法の導入と研修は、職員、事業所、そして利用する親子の安全基準への要求と倫理観を全体的に高める効果を持ちます。これは、事業所の内部統制の強化に直結します。
コンプライアンス経営への転換
DBS制度の徹底的な遵守は、単なるリスク回避のための「コスト」ではなく、企業のブランド価値と競争力に直結する「攻めのコンプライアンス」へと企業経営を転換させる可能性があります。
公立学校でのDBS運用のスタンダード化と民間事業所における競争優位性
公立学校でのDBS制度の運用ルールが定着するにしたがって、「子どもの安全基準」が社会的なスタンダードとなることが予想されます。
このスタンダードをいち早く導入し、体制を徹底する私立学校や学習塾、スポーツクラブなどは、そのスタンダードが社会全体に浸透するまでの間、保護者からの信頼という点で高い競争優位性を維持できるでしょう。DBS認定は、サービスの品質保証の一つとなる可能性が高いと考えられます。
外部連携・取引条件の選別
DBSが浸透されるにつれて、企業間取引、特に業務委託や派遣契約において、DBS確認への協力体制が取引の条件として機能し始めます。
- 業務委託や派遣元と派遣先の契約において、DBS確認手続きへの協力や、記録管理の体制整備に抵抗しない業者のみが、選別的に取引の対象となるでしょう。
- これにより、コンプライアンス意識は個々の事業者だけでなく、サプライチェーン全体に浸透し、「安全性の確保」を怠る業者は事実上、市場から排除される傾向が強まります。
企業の社会的責任(CSR)への統合
DBS対応の徹底は、企業のサステナビリティ(持続可能性)への取り組みと密接に結びつきます。
DBS制度への対応は、単なる法的な義務を超えて、「子どもたちの安全な社会環境づくりに貢献する」という企業の社会的責任(CSR)の一環として評価されるようになります。積極的に情報公開し、安全文化を根付かせることが、企業価値の向上に繋がります。
制度の将来的な変容と実務上の負担増
DBS制度の確立は、将来的に他の分野への倫理的な波及の可能性を秘める一方で、行政の多層的な構造の中で実務上の混乱と負担を増加させる可能性があります。
弱者保護の視点と「確認制度拡充の限界」
子どもの安全確保で確立した「弱者保護」の法的視点は、今後、障がい者福祉や高齢者福祉といった他の福祉分野においても現状浸透しつつある「虐待防止」などの対策をさらに強化するなどの波及効果があるかもしれません。
しかし、その一方で、「プライバシー権」との衝突や行政手続きの煩雑さから、確認対象となる犯罪種別や情報範囲を大幅に拡大することについては、慎重な議論と高いハードルが存在すると見ています。したがって、DBS制度における犯罪事実確認が弱者保護の対策としてどのような効果を生むのか判明することで、プライバシー権と弱者保護の議論はさらに深まり、仕組みを他の分野へ波及させるか、または犯罪歴の確認の対象そのものに変化が起きるかもしれません。
国際基準との比較と「制度変容」の可能性
海外の先進国、特にイギリスのDBSのように、より広範なチェックを行う制度が存在します。日本のDBS制度は、イギリスとは異なる仕組みを策定しましたが、将来的にイギリスのDBSの制度のように確認対象となる犯罪の範囲や情報提供の頻度が「変容」する必要があるのか再度議論が持ち上がる可能性があります。
行政の多層化による混乱と実務負担の増加
DBS制度の所管庁はこども家庭庁ですが、この制度の対象となっている公立・私立学校は、文科省による教育行政の下にあります。こどもの安全を守る行政のこども家庭庁と教育行政をつかさどる文科省が別々に機能する中で現場の教育が運用されます。この多層的な構造が、現場での対処事項の増加や重複した対応など業務負荷が増える可能性があります。 さらに、DBS制度においては、警察庁や法務省など、複数の行政機関が深く関わる制度であることも見逃せません。仮に性犯罪が起きた時には、事業者側では「誰に何を確認すべきか」という実務上の混乱と負担が増加していくことは避けられないと危惧しています。
まとめ:運用体制の構築は企業の「未来への投資」
DBS制度の導入は、日本の雇用慣行において「子どもへの安全性」を無視できなくなるという、不可逆的な変化をもたらしました。
特定性犯罪歴の確認は、確かに必要最低限のルールに過ぎません。しかし、この法的枠組みを起点とし、「確認手続きの協力義務」「情報管理」「倫理研修」といった複合的なコンプライアンス体制を構築することは、法令違反リスクの回避だけでなく、企業のブランド価値と社会的な信頼を高める「未来への投資」であると確信します。
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